目次
   
ある日、突然

   ・大学病院の待合室

   ・パンツマンのうた

   ・がんばれ悠斗

   ・パンツマンと青い空
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ある日、突然

 この石畳の風変わりな街に住んでもう三年になる。都内のアパートから越してきたときはヨーロッパの素敵な街にやってきたようで、週末になると毎週のように徹くんと街角のカフェへ食事に行ったり、埋立地の巨大な箱庭のような公園へ散歩に出かけたりして過ごした。
だから週末が楽しみで、わたしはいつもグルメ情報誌やイベント情報誌をかかえてソファに寝ころびながら次の週末の過ごし方を計画していた。一年半前に悠斗が生まれてからも私たち一家の週末の過ごし方は変わりなく、この週末もお弁当を抱えて公園に自転車で出かけようと考えていた。
 徹くんは私より三つ年上で、都内にある某電気メーカーの技術部に勤めて平日はいつも帰りが遅い。悠斗はわが家の主人公で、最近、言葉らしい単語も少しずつ増えてきたので、すこぶるかわいい。どちらかといえば私似である。私は出産の時は郷里の富山へ帰り、俗に言う「里帰り分娩」で悠斗を産んだ。出産後は実家の面倒になり親子でお客様のような生活をしてきたが、徹くんパパが寂しがるので予定より早くこの街へ戻り、家族三人の生活が始まった。
それでも、富山の実家には約二ヶ月間、お世話になった。以来、私と悠斗は徹くんパパの帰りを待ちながら、毎日、二人で孤軍奮闘している。だから悠斗が熱を出したり、体に赤いぶつぶつができたりしたら大騒ぎで、街外れのマンションの一階にある『財前こどもクリニック』に駆け込むことになるのだ。ついこの間も悠斗の一歳半検診で『財前こどもクリニックに』行ったばかり。余談だけれど財前先生は『白い巨塔』の財前教授とは違い線の細いインテリ派で、噂に寄れば大学の医局も早々に去ったらしく、細身で美しい奥さんとこの新興住宅地に診療所を開いている。
 そんな悠斗にわが家を震撼とさせる一大事が起きたのは、二人でおやつのビスケットを食べ、さてこれから午後の散歩に出かけようかと準備していた時のことである。悠斗はオムツをつけたまま、部屋中を走り回っていたのだが、突然、足を止めソファの方へ顔を向けたままじっと固まって動かなくなった。悠斗のうんちタイムだ。しばらくするとオムツのおしりの部分がもっこりと大きくなり、辺りに黄色いにおいがひろがってくる。私はいつものとおり悠斗を横に寝かせ、そっとオムツをはずした。こちらも手慣れたもので、オムツの中身をこぼすこもなく、手際よく悠斗のおしりをウエットティッシュで拭いてあげた。ここまではいつものとおりだったのだが、前の方に視線を動かした私は、思わず大きな驚愕の叫びをあげてしまった。「ギャー」。
 それからのことはよく覚えていない。携帯のiモードを必死に握りしめたまま、慌てて徹くんに意味不明のメールを送ったらしい。「どうしよう 悠斗 オチンチン」。
 しばらくして徹くんから携帯に電話が入り、われに返った私は「悠斗のオチンチンがタヌキになっている」と告げた。「ナニ、オチンチンがタヌキ」、徹くんはふざけるなと言わんばかりの声で聞き返した。
「そう、オチンチンのがタヌキ、じゃなくって、オチンチンのフクロがタヌキみたいに大きくなっているの」
「オチンチンのフクロがタヌキみたいに大きくなるわけないだろう」
 徹くんもぜんぜん状況が飲み込めないらしい。
「だから悠斗のオチンチンのフクロがタヌキのオチンチンのフクロみたいに大きくふくらんでいるの」
 しばらく沈黙した後、徹くんはうわずった声で言った。
「クリニックに行ったほうがいいよ」
「うん」
 私は下半身をスッポンポンのままで無邪気に手足をばたつかせている悠斗の前にひざまずき座り込んだまま力なく返事をし、携帯を切った。

 私は悠斗をベビーカーに乗せ、石畳の歩道を行き、数ブロック離れた財前こどもクリニックに向かった。この街は通りが東西南北に走り、歩道も通りも幅広く設計されているので、通りには午後の日差しが差し込みまぶしい。時に映画に出てくる西海岸の街並みかと錯覚することがあるのだが、このときばかりは動揺を隠せない私はまぶしい日差しで目の前がふらふらするような気がした。
 私はベビーカーを押したままクリニックの玄関を入った。入り口に段差がなくベビーカーを押したままでも入れるのが優しく、気遣った設計だと一人納得しながら財前先生の顔を思い浮かべた。悠斗はいつの間にか眠っている。なぜか今日に限り、午後の待合室に人気がなく、受付を済ませしばらく待っていると名を呼ばれた。
「はい」
 私は返事をすると、悠斗をベビーカーに乗せたまま診察室に入った。財前先生はつくりが細いせいか、一見、やや神経質そうだが、よく見ると穏やかな表情で、その目は澄んでやさしい。
「どうしました」
「あの、うちの子のオチンチンのフクロが風船のようにふくらんでます」
 私は「タヌキのように」というのを「風船のように」と表現を変え、訴えた。
 財前先生は驚く様子もなく、「どれどれ見せてください」と悠斗を診察台の上に寝かすように指示した。
 私が悠斗をベビーカーから抱き上げ診察台の上にそっと寝かせると、それまで先生の傍らに静かに立っていたやや年配のこれまた細身の看護婦さんが手際よく悠斗の服とオムツをはずすと、財前先生は悠斗の下半身を覗き込んだ。
 同時に私は本日、二度目の驚愕の叫びを上げてしまった。「ギャー」
 「無い、無い」と、私は心の中で叫んだ。さっきまであんなに膨らんで腫れていたオチンチンのフクロが今は元通りのしわくちゃのフクロにもどっている。私は一瞬、二人から虚言だとの非難の視線を浴びるのではないかと不安になり、思わず言った。
 「さっき、ついさっき、ここへ来る前はオチンチンのフクロの右半分が卵の大きさ位にハレテいたんです」
 私はこの時になってはじめて悠斗の身に起こった一大事をきちんと日本語で説明できた自分に気づいた。私はそう言いながら顔をそっと上げ、財前先生を見上げると、先生は悠斗のお腹を優しく診察しながらそっと微笑んでいる。傍らの看護婦さんも悠斗の足を押さえながら微笑んでいる。彼らに非難の表情が無いことを知った私は、安心すると同時に、悠斗の身に起きた事態を先生と看護婦さんは了解しているのだと察知した。
 財前先生は一通り診察を終えると、看護婦さんにもとどおりにオムツをつけるようにと指示した。悠斗は診察の途中で目を覚ましており、最初はきょとんとしていたが、目の前の白衣を着た財前先生に気づくと、突然、思い出したように大声で泣き出し、すがりつくように私に抱きついた。財前先生は小児科の先生らしく子供の泣き声には慣れているといった無頓着な表情で、ぼそりと言った。
「ヘルニアでしょう」
「えっ」
 私が聞き返すと、財前先生は
「そけいヘルニア、つまり脱腸ですよ」
と、診察室の隅の流しで手を洗いながら言った。
 私がまだ状況が飲み込めないといった顔をしていると、財前先生は続けて言った。
「お母さんがこちらへ来る前に見たのはヘルニアが出た状態で、今はヘルニアが戻ってしまったので、もとどおりのオチンチンのフクロになっているのですよ」
 財前先生もオチンチンのフクロって言うんだと、私は心の中で思った。ヘルニアとかヘルニアが出るとか、二十八年間、生きてきて始めて聞いたこどものヘルニアっていったい何だろう。治るんだろうか。それとも一生、治らずに大きいフクロをかかえたまま悠斗は人生を送らなければならないのだろうか。一瞬の内に、いろいろな思いが頭の中をよぎった。
 「小児外科の春田先生を紹介しますよ」
と財前先生は言うと、机の上に看護婦さんが差し出した用紙に春田先生あての紹介状を書き始めた。
 えっ、外科。じゃ、悠斗の病気は手術が必要な病気なの。
 突然の晴天の霹靂に言葉を失って、ただ呆然としている私に、財前先生は紹介状を持って小児外科の春田先生を受診するようにと勧めてくれた。
「春田先生は大学病院の小児外科の専門医ですよ」
 そういう財前先生の言葉を後にして、私はクリニックを出た。すでに午後の日差しは西に傾き始めていたが、石畳の照り返しはまだまだ熱く、足元を焦がしそうだった。
大学病院の待合室

 二日後、大学病院の春田先生を訪ねるため、私たち親子は通勤客でごった返した電車に乗った。もちろん休暇を取って会社を休んだ徹くんも一緒である。大学病院は私たちの住んでる街から電車を乗り継いで四十分ぐらいのところにある。途中、住宅地と田んぼが繰り返し現れる沿線の風景を見ながら私と徹くんは無言のまま、悠斗をあやしていた。悠斗は混雑した車両の中へ無理やり押し込まれた恐怖のためか、それとも大学病院を訪ねる不安と緊張を隠せない両親の思いを察知したのか、朝から落ち着かない。
 この二日間、私と徹くんは手術が必要な病気になってしまった悠斗を見つめながら過ごした。幸い、その後、悠斗のオチンチンのフクロはふくらむことなく、悠斗はいたって機嫌が良かった。徹くんは最初、無関心な表情をよそおい、「そんなの大した病気じゃないよ」とうそぶいていたが、私が「どうして大した病気じゃないってわかるの」とややヒステリックに言うと、突然、コンピューターに向かいインターネットの検索を始めた。
 インターネットの「健康と医学」の欄から「そけいヘルニア」で検索をすると、たちまち三百以上のページが検索できた。徹くんは初めのうちは得意げにそのいくつかのページを開いていたが、途中から腹立たしそうに一人でモニターに向かってぶつぶつ言っている。私も徹くんの後ろからモニターの画面を覗き込み、カラフルな「そけいヘルニア」のページを夢中で読んだ。
 ピンクで彩られた「こどもの病気」と題するページには、
『ヘルニアとは、本来なら腹部の中にある内蔵の一部が腹腔から飛び出す状態で、そけいヘルニアはソケイ部から腸管などが脱出する病気です』
また、別のページには
『腹膜鞘状突起が開いたままになっており、腸管などが出てくる』『女児では卵巣が出ることもある』
と書いてある。
 徹くんと私はモニターを見つめ、文章をなんどもなんども読み返した。
「徹くん、わかる」
私は聞いた。
「いや」
徹くんは元気なく答えた。
 それから徹くんと私はそけいヘルニアと題するページを深夜まで読みあさった。いずれも「家庭の医学」から抜書きしたような解かるような解からないような文章で、結局のところ私たちが得た情報は、そけいヘルニアとは足の付け根がふくらむ病気で、それはフクマク何とかという所が開いたままになっているかららしいということだった。

 大学病院の待合室ロビーには九時ちょっと前に到着した。すでに待合室には顔色のすぐれない患者さんとおぼしき人や、やや前かがみでゆっくりと歩いているやはり患者さんらしい人、また付き添いの人たちで溢れごった返しており、大変な混雑である。受付のとなりではこれから受診すべき診療科の場所がわからないお年寄りに、ボランティアのご婦人が床を指差し、緑のラインに沿って行けば窓口に到達できると大声をあげて説明している。
 私たちは外来の総合受付で受付を済ませると、小児外科の外来へ行き、そこで待つように指示された。小児外科の外来は待合室のロビーから廊下を奥へ入った、人気の少ない一角にあった。それでも窓口の前の長いすにはすでに十組ほどの親子が慣れた様子で順番待ちをしている。しばらくすると受け付け横の電光板に番号が掲示され、悠斗の診察の番となった。診察室の扉を開け、恐る恐る中へ入ると、
「宮島悠斗くんですね、小児外科の春田です」
と、春田先生はいすに座ったまま、こちらへ振り向きながら確認するように言った。小児外科医というのはこどもをあいてにする外科医だからきっと繊細でしかも見るからに優しい感じのドクターなのだろうという私たちの予想を春田先生は見事に裏切った。一見、ラグビーかアメリカンフットボールでもやっているのかと思うほど筋肉質の巨漢である。しかもどちらかというと無愛想で、悠斗に愛想を気づかったりしてくれない。そのかわり、一瞬にしてこどもの様子を了解してしまうような観察力の鋭さを感じさせる。手は優しそうで、体の割に指は細い。
「さて、どうしたかな」
決して相手に威圧感を感じさせることの無い穏やかな口調で春田先生は聞いた。
私たちはこれまでの事の次第を話した。春田先生は財前先生からの紹介状を読みながら私たちの話を聞き、同時にカルテにメモをとっている。
「赤ちゃんの頃にオチンチンのあたりがふくらんだことはないの」
「反対の左側はどうですか」
「痛がって泣いたり、ぐずったりすることはありませんか」
矢継ぎ早に春田先生は聞いた。
私たちは二日前に初めてオチンチンのフクロの腫れに気づいたこと、左側の腫れは気づいていないこと、腫れるだけで悠斗は痛がったりぐずったりすることは無いことを伝えた。
さらに春田先生はこれまで悠斗が大きな病気や入院の経験が無いか、またアレルギーや過去に注射や薬でおかしくなったことが無いかどうかをたずねた。さらにうちの家族構成まで聞き、徹くんや私にヘルニアになったことが無いかとも聞いた。
 春田先生は悠斗を診察台の上に横にするように指示すると、大声で泣いている悠斗の胸におもむろに聴診器をあてた。それから悠斗の呼吸に合わせるように大きな手のひらで悠斗のお腹をおおうようにしながら診察すると、最後に初めてオチンチンのあたりを診察した。まず人差し指でオチンチンのわきをなでながら、右側と左側を比べていたかと思うと、
「お父さん、同じようにここを触ってみて」
と言った。
 徹君はやや緊張しながら右手の人差し指で悠斗のオチンチンのわきをなでた。ちょうど足の付け根よりすこしお腹よりのところで、後で私たちはそこが「ソケイ部」と呼ばれるところであることを知った。
「ほら、右側のほうが左に比べて厚ぼったく感じるでしょう、お母さんもやってみて」
春田先生は私たちの反応を楽しむように覗き込んだ。
「はい、わかります、右側のほうが厚ぼったく感じます、これは何ですか」
徹くんは聞いたが、春田先生はすぐには返事をせず、悠斗の診察を続けた。
「ほら、右側は厚ぼったく感じるだけじゃなく、絹と絹を合わせてこするようなキュッ、キュッとした感じもわかりますか」
「はあ」
徹くんは自信なく答えたが、続けて触らせてもらった私にはわかった。私には絹というよりは湿っぽいストッキングをこすり合わせるような感触として感じられた。
 春田先生は手際よく悠斗のオチンチンのフクロを診察すると、看護婦さんに悠斗を診察台の上に立たせるように指示した。悠斗は泣きながらも促されると診察台の上に両足を踏ん張って立っている。春田先生は片手で悠斗の腰をささえながら、もう一方の手で悠斗の下腹部を圧迫した。悠斗はひときわ大きな声で泣いていたが、そのうち悠斗のオチンチンの右側の部分が少しずつふくらみ始めた。
「あー」
私は声に出して叫んだ。
「ほら、ふくらんでくるでしょう、ヘルニアは間違いないですね」
春田先生は勝ち誇ったような得意げな表情をうかべ、うれしそうな顔をした。
「はい、いいですよ」
春田先生は悠斗の診察を終えたことを告げると、財前先生がしたと同じように流しで手を洗い、再びいすに座りこちらを向いた。
「どうぞ、お座りください」
徹くんは促されてはじめて、どうしていいのかに気づいたように、患者用の丸いすに腰をかけた。私は悠斗にオムツをつけ、悠斗を抱きかかえながら徹くんの後ろに立った。
 春田先生はカルテにお腹の絵を描き、そこに横文字で所見を書き加えると、こちらを振り返り机の上のメモ用紙に絵を書きながら説明を始めた。
「これがお腹でしょう、それからこれがオチンチンとこれがオチンチンのフクロ、いいですか」
私たちは無言のまま、うなずいた。悠斗だけが興奮からさめず、私の胸にしがみついたまま泣いている。
「生まれたばかりの赤ちゃんにはお腹から精巣に向かって突起状のお腹の膜の袋があるんですよ、わかりますか」
「はあー」
「この袋はね、普通は生まれて数ヶ月で閉じるんですが、閉じないで残っていると、その中へ腸が飛び出してきて、脱腸、つまりヘルニアということになるわけです」
「はあー」
「腸じゃなくて、お腹から水が降りてきて袋の中に水がたまれば、これは水瘤といいます。ですからヘルニアも水瘤も原因は同じで、袋が閉じないで残っているのが原因です。腸だけじゃなくて、女の子であれば卵巣が飛び出すこともあります」
「なるほど」
徹くんは初めてわかったようにうなずいた。説明はまだ続いた。
「悠斗君の状態はお腹を押すと腸が出てくるようですから水瘤ではなくて、ヘルニアです」
私たち二人はうなずいた。
「ヘルニアの場合、腸が出たり、お腹の中へ引っ込んだりしているときは全く問題が無いのですが、袋の中に出た腸が袋の中でむくんでお腹の中へ戻らなくなることがあるんです、これをカントンといいます」
と言いながら春田先生はメモ用紙の上に難しい字を書いた。「嵌頓」。
「それで、このカントンの状態を放っておくと腸が袋の中で腐って、腹膜炎をおこし命取りになることがあります」
春田先生は初めてきびしい顔をした。
「女の子であれば卵巣が戻らなくなり、卵巣がだめになってしまうことがあります、ですから、ヘルニアは診断がついたら原則的に手術をします」
「原則的にってどういうことですか」
「生まれたばかりの赤ちゃんの場合には生後三ヶ月位まで様子をみることがあります、もちろんカントンの危険があれば別ですが」
「はあー」
「生まれたばかりの赤ちゃんは手術が難しいのと、初めに言ったようにこの腹膜の袋は自然に閉じる可能性があるからです、病院によっては生後六ヵ月位まで待つところもありますが、カントンの危険性があるのでやはり手術の時期はなるべく早めがよいでしょう」
説明はわかりやすく、カントンの危険性はよく理解できる。だけど悠斗が手術を受けなければいけないのだと思うと、やはり正直なところがっかりする。
「水瘤の場合にはカントンのような危険性が無いので一歳までは手術をしないで様子をみます、十人中九人は袋が自然に閉じて水がたまらなくなり手術の必要はありません、一歳を過ぎても治らない場合に手術が必要となります、いいですか」
悠斗に手術が必要なことを理解させようと春田先生は私たちの目をじっと見つめた。
「それで手術はこの袋の付け根のところを横に二センチくらい切って、袋の根本を二重に糸でしばって腸が出ないようにします、手術自体は十五分か二十分程度で終わる手術ですが全身麻酔が必要ですから二泊三日で入院をしてもらいます」
 春田先生はメモの絵を指しながら説明をした。小児専門の病院では日帰りでも手術ができるとのことであったが、この大学病院では日帰り手術はやっていないとの説明だ。後で聞いた話だが、日帰り手術はこどもが母親から離れる時間が短くなるためこどもや家族にとっては心理的なストレスが少なくなるなどのメリットがあるらしい。
「退院した後は安静にしているんですか」
私は聞いた。
「一歳のこどもに安静にしていろといってもなかなか難しいですよね」
春田先生の目は意外に優しい。
「退院の翌日から生活は普通にしてください、保育園や幼稚園に行っている場合には普通に行かせて結構です、ただ創を濡らしたり、こすったりするのは一週間だけさけてください、手術後一週間目に一度だけ外来にきてもらって創を確認して問題がなければそれでおしまいです」
「じゃあ、お風呂はだめですか」
「創を濡らさないように気をつけてシャワーで体を洗うのはだいじょうぶですよ」
「なるほど」
「それから大事なことですが、手術をした後に反対側のヘルニアが出ることがあります」
「---」
「対側発症といいますが、頻度は五パーセントから十パーセント程度です、つまり十人に一人あるいは二十人に一人の可能性です、悠斗君の場合、右側の手術をした後に左側のヘルニアが出ることがあればその時あらためて左側の手術をします、それから手術をした側のヘルニアが手術の後に再発することもあります、原因はいろいろですが、頻度は三百人に一人程度です、頻度は少ないけどそういう事もあるということを承知しておいてください」
 私は悠斗を抱いたまま徹くんの目をみた。徹くんも私の眼差しを理解したのか考え込むようにうつむいた。話は良くわかった。春田先生の説明は理解しやすいし、手術の必要性、手術の後のことやその後の可能性なども納得できた。少しの間の後、
「お家へ帰ってからよくご両親で相談して、手術を希望される場合には手術の予約をしにもう一度、外来にきてください」
春田先生の言葉や仕草にはすぐに結論を出せなどという態度は少しも感じられない。
「先生、一つだけ聞いていいですか、家に帰ってヘルニアがまた出たらどうしたらいいですか」
 私の問いに対し春田先生は私の目をじっと見て言った。
「ヘルニアが出たら左手を添えて、右手でふくらんだところを揉むようにして出た腸をお腹へ戻すようにやってみてください」
先生は私の手をとり、実際にヘルニアを戻すかのような仕草で教えてくれた。
「もしどうしても戻らないとき、あるいはふくらみが硬くしこってどうにもならない時はカントンしている可能性がありますから早めに財前先生のところを受診してください、ヘルニアが戻らずに、しかも本人がぐずったり、吐いたりしている時はカントンと考えて間違いないでしょう」
「わかりました、ありがとうございました」
私たちは春田先生と看護婦さんに礼を言い、診察室を出た。いつの間にか小児外科の外来待合室はこどもとお母さんたちで一杯になっている。悠斗も疲れたらしい。悠斗は私の胸に顔をうめるようにして眠っている。私は悠斗を徹くんにそっとあずけると、三人で大学病院をあとにした。
パンツマンのうた
 
 その晩、私はいつもより早めに夕食の用意をし、私たちはいつもより早めの夕食をとった。徹くんが休みで午後もずっと家にいたのと、悠斗の受診で私も緊張したせいか疲れていて、今日は早く休みたいと思ったからだ。夕食を済ませるといつの間にか窓の外は暗くなっており、ベランダの向こうに灯った高速道路の明かりが遠くへ点々と連なっているのが見える。さらにその遠くには一際明るい白光が周辺を浮かび上がらせている場所があり、時々、世の喧騒のみなもとはあの辺りにあるのではないかと思ったりする。私はベランダに干したままにしてあった洗濯物を取り入れながら窓の外から部屋の中を見ると、悠斗が赤ちゃんの時から使っているお気に入りのプラスチックのスプーンを片手に部屋中を楽しそうに駆け回っている。ソファを背にして絨毯の上に座り込んだ徹くんめがけて突進した悠斗は徹くんに全身をくすぐられて大喜びだ。私は無邪気にはしゃいでいる二人の様子を見ていて涙が溢れてくるのを感じた。
 私は取り込んだ洗濯物で顔を隠すように部屋の中へ入り、洗濯物をたたみ始めた。しばらく気づかないでいた徹くんも私が話をしないのを不思議に思ったのだろう、
「どうした、黙ったままで」
と私に声をかけた。
悠斗はいつの間にか自動車のおもちゃを引っ張り出してきて、絨毯の上を手押しであっちに走らせたり、こっちへ走らせたりしている。
「わかんない」
「わかんないって、何が」
「不安、なんとなく」
「悠斗のことが心配なのか」
「たぶん」
 自分でも漠然とした不安がどこからくるのか分からなかった。手術が安全なのだろうか、麻酔が安全なのだろうかという具体的な不安よりも、生まれてから一年半の間、自分のそばから一時も離したことのない悠斗を病院にあずけなければならないこと、その間、私と悠斗は離れ離れで、病院のベッドに一人で置き去りにされた悠斗は寂しさのあまり一晩中泣き明かすのだろうという想いが、多分、この言いようの無い不安と切なさの原因なのだろうと思った。
 徹くんは私の気持ちを理解したのだろう、そっと私を優しく抱き寄せてくれた。突然、私たち二人の様子をうかがっていた悠斗は飛びついてきてかと思うと、徹くんの真似をして私をそっと優しく抱いた。私たち三人は無言のまましばらく動かなかった。涙が頬をつたうのを感じたが、二人のぬくもりが温かく、私は嬉しかった。

 その後、一週間、私たちは悠斗のヘルニアについて話をすることはなかった。徹くんも会社からの帰りが遅く、帰って来たときには疲れていてお風呂に入ったあと缶ビールを飲むとすぐに眠ってしまう。私も悠斗のヘルニアはこのまま治ってしまうのではないかというような気がして、なんとなくそのままにしていた。
 今日も徹くんを朝七時に送り出してから、洗濯をして、悠斗に朝ごはんを食べさせて、また洗濯をしていたらもう昼近い時間になってしまった。今日は天気がいいし、ベランダには清々しい風が吹いているから後で悠斗を連れて公園に散歩に出かけようかと考えていた。私は絨毯に座ったままテレビをじっと見ている悠斗をソファに腰掛け後からながめていた。
「パン、マン」
まだはっきり発音できないが、テレビの画面で踊っているパンツマンを指差しながら悠斗は私に話しかけている。パンツマンは幼児向けのテレビ番組の主人公で、悪者が出てくるとパンツを膨らませて戦う正義の味方である。私は大きく膨らんだパンツをはいて活躍するパンツマンの滑稽な姿を見てふとわれに返ったような気がした。悠斗の手術をしてもらおう。
 私は徹くんの携帯にメールを入れた。
「休みをとって! 手術の予約に一緒に行って!」
お昼を過ぎてからメールの返事が入った。
「あさって、休みがとれそうだ、一緒に行こう」
午後、私と悠斗は公園に出かけ夕方まで遊んだ。富山のおばあちゃんが送ってきたビニールの大きなボールをもって出かけ、二人してそのボールを懸命に追い掛け回した。ボールは起伏のある芝の上を風に吹かれながらあっちへ転んだり、こっちへ転んだりするものだからどちらへ転がるか予測がつかない。しかもボールは大きくて、悠斗ではまだ持て余すものだから大変な騒ぎになる。二人ともぐったりと疲れるまで走り回り遊んで、帰った。

 その晩、私と悠斗はいつものとおり、二人だけで夕食を済ませた。一口サイズのハンバーグを作り茹でたニンジンを盛り合わせた。悠斗はケチャップ味のソースが気に入ったのか、口のまわりをソースだらけにしてハンバーグをほおばった。いつもよく食べる悠斗が、今日はいつも以上によく食べ、お腹を大きく膨らませた。
 夕食後、私が食器を洗っている間、悠斗はカーペットの上で仰向けになったり、うつ伏せになったりしながらお気に入りの車のおもちゃで遊んでいた。私には悠斗の様子は後ろ向きでもだいたいわかる。何か単語にならない話し声や物音が聞こえるときは大丈夫である。静かになった時、振り返ると、クレヨンを口にくわえていたり、口紅を握りつぶしていたりと得意ないたずらの真っ最中であったりする。悠斗はしばらく車のおもちゃを部屋の明かりにかざしたり、すかしたりしながら遊んでいた。しかし、しばらくしてから、私が食事の後片付けを始めてから十五分くらいたってからだろうか、悠斗が突然、私の後ろへきてスカートのまわりにまとわりつくようにして泣き出した。私は鉄製のミニカーで指でもはさんだかと思い、悠斗の顔をのぞきこみながら指を見た。指は何ともない。
「悠斗、どうした」
私は悠斗を抱き上げながら聞いた。今日は公園で遊んだから、もう眠くなったのだろうと私は思った。しかし、悠斗は抱き上げられても身をのけぞらせ、まるで私のうでの中でもがいているようだ。私はその時、悠斗のお腹がいつもより大きいのに気づいた。
「お腹が痛いの」
きっと食べ過ぎたせいだと、ぐずっている原因が悠斗のあり余る食欲の結果であることを願って、私は悠斗をカーペットの上へおろし、服の上から悠斗の胃のあたりをさすった。悠斗は懇願するように泣きながら、両腕を伸ばし私にすがりつこうとしたその時、私のエプロンに向かってさっき食べたばかりのハンバーグとニンジンをどっと吐いた。悠斗は吐いたことに驚いたのか、一段と大きな声で泣き、力なくカーペットの上にうずくまってしまった。
その一瞬、春田先生の言葉が脳裏をかすめた。
「ぐずったり、吐いたりしている時はカントンと考えて間違いないでしょう」
私は吐物で汚れた服をぬがし、オムツをはずすと、悠斗の苦痛の原因を見つけようとさがした。間違いない、カントンだ。悠斗のおチンチンの右側からフクロにかけて、今まで見たことがないくらい大きくはれている。さわってみた。だめだ、固い。
がんばれ悠斗

 春田医院に電話をかけた。時間はもう七時をまわっている。春田医院が六時まで開いていることは知っているが、先生も看護婦さんももう帰ってしまったのだろう。電話のつながることを淡く期待しながら呼び鈴が空しく鳴るのを聞いた。悠斗は吐いた後、カーペットの上に置いた座布団の上でぐったりしながら身をよじっている。呼び鈴を十回以上鳴らしたが、返事はなかった。私は部屋の片隅に積み上げてある雑誌や新聞の束の中から、町の広報誌を取り出した。小児の夜間救急診療所が夜の十一時まで開いていると見たことを思い出したからだ。
 夜間救急診療所にはすぐ電話がつながり、呼んだタクシーは数分で来た。私は悠斗を抱えタクシーに乗ると、徹くんに携帯で連絡をとったが返事がない。工業団地に隣接する市街地のはずれにある診療所まではそうかからずに着いた。
「さっき電話した宮島です」
私は受付の小さい窓を覗き込みながら言った。受付のお兄さんに誘導されて行った待合室には十組以上の親子が診察の順番を待っている。
「お願い、悠斗を先に見て」
私は心の中で叫んだ。
「どうしました」
かなり年配の看護婦さんが優しそうな落ち着きを見せながら出てきた。
「ヘルニアのカントンみたいなんです」
「ヘルニアがあるの」
「大学病院で手術をしてもらおうと思っていたんです」
看護婦さんは事態を了解したというような顔をしながら、いつからヘルニアが出ているのかと聞いた。私は一時間ほど前からぐずっていること、夕飯で食べたものを吐いたこと、見たらヘルニアが出ていたこと、その後、元気がなくぐったりしていることを伝えた。
 看護婦さんは一旦、中へ入った後、私と悠斗を診察室の中へ招き入れてくれた。順番待ちしている母親たちも異変を察知してか、順番に横入りする私たちに何の非難の素振りも見せない。私は待合室の親子たちを横目に悠斗を抱えて診察室に入った。
 診察室のベッドのわきに立って私たちが入るのを待っていたのもやはりかなり年配の先生だ。いつか小児科医になる若い医師が減っていると聞いたことを思い出した。老医師は開襟シャツの上に白衣をまとっただけの姿で、年季が入っていると一見してわかる。
「どれどれ」
老医師は悠斗のオムツをはずすように私に指示し、悠斗の下腹部を覗き込んだ。悠斗のフクロは一段と大きくなっており、わずかに全体が赤みを帯びている。老医師は一目見ただけで振り返ると、もう一人の若い看護婦さんに大学病院に電話をつなぐように指示した。
「大学病院に連絡しますから、そちらへ行ってください」
私は黙って老医師の言葉にうなづいた。
受付でタクシーを呼んでもらい、紹介状を握り締め、私は悠斗を抱え今度は大学病院へ向かった。
「悠斗、ごめんね、悠斗、ごめんね」
私は心の中で何度も叫んだ。

 大学病院の時間外救急に到着したのはすでに夜の十時近くになっていた。受付を済ませると、しばらくして頬にニキビをつけた若い医者がやってきて、診察室の椅子に座ったまま、悠斗の身に起きたことを最初から尋ねた。会話のやり取りに要領を得ないのが、いかにもなり立ての新米医師という感じだが仕方ない。私は春田先生に診てもらい、近くソケイヘルニアの手術を予約するために春田先生を再度、訪ねる予定であったことを告げた。
 一通り聞き終わると新米医師は診察台に横になった悠斗の腫れた部分を両手で揉み始めた。悠斗は苦痛に大声で泣き叫んだ。悠斗のフクロは先ほどよりますます赤くなり、むくんでいるようにさえ見えた。新米医師の額から汗があふれている。十分ほど経ったろうか。新米医師は診察机の脇にある電話をとると春田先生を呼び出すためにコールを入れた。さらに五分くらい経ち、折り返し電話が鳴った。新米医師は春田先生にすぐに来てほしいと告げた。
 それから春田先生が来るまでの時間はとても長く、辛かった。
「春田先生がすぐ来ますから」
 新米医師は悠斗を抱きかかえる私にできる限りの慰めの言葉をかけ、申し訳なさそうな顔をして立っている。
 しばらくして春田先生がやって来た。春田先生はまるでインディアンの襲撃をうけた白人を助けに来た騎兵隊のように勇ましく、神々しくさえも見えた。春田先生は悠斗のフクロに優しく触れると、言った。
「手術をしなくちゃダメだよ、おかあさん」

パンツマンと青い空

 悠斗が消灯した暗い病棟から移動式のベッドに乗せられて手術室へ向かったのはちょうど夜中の十二時をまわった頃だった。徹くんは十一時を過ぎた頃、慌てて病院にやってきて、二人で担当の新米医師から手術の説明を受けた。全身麻酔についても話を聞いた。手術の承諾書にサインをしたが、正直言って説明の内容はほとんど覚えていない。

 あの日から一週間が過ぎ、悠斗は何もなかったかのようにカーペットの上を四つんばいになり、おもちゃの車で遊んでいる。午前中に訪ねた大学病院の外来では創もきれいに治っているので、再び外来へ足を運ぶ必要は無いと言われた。
 悠斗はカーペットに掃除機をかけている私の後ろへ近づいてきたかと思うと、突然、スカートのすそを引っ張り何かを叫んだ。もしや、ヘルニアの再発では。私の脳裏には一週間前のあの日の悪夢の始まりがフラッシュバックした。
「パン、マン」「パン、マン」
「パン、マン」「パン、マン」
 悠斗はいままで見せたことのないほど大きく目を見開き、窓越しにベランダの向こうを指差した。
「パン、マン」「パン、マン」
 私は身をかがませ、悠斗の指差す方向を見た。そこには大きくふくらんだ白いパンツマンがまぶしいほどの青空に浮かび、暑い地表をスキップしながら夏の風にふかれていた。
この時、私は悠斗も私も大きく優しいものに見守られていることを感じた。そして、悠斗の耳元でそっとささやいた。
「パンツマン、ありがとう」

(本文中の個人の名称などはすべて架空のものです)


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