獨協医科大学学生とドイツ人学生との国際交流の試み
――第1回日独学生親睦交流会経過報告――
柳田 修


1. 序

 1994年の9月3日と4日に、獨協学園の研修施設である新甲子研修所で、第一回の獨協医科大学学生有志約50名とミュンヒェン大学の学生を中心とする12名のドイツ人学生との親睦交流会が行なわれました。

 獨協学園はその創立以来、建学精神の重要な柱の一つとして「国際交流」を掲げています。その精神は獨協学園百有余年の歴史の中で脈々と生き続け、それを基盤に多くの国際性豊かな幅広い教養を身につけた人材が輩出していることは世に知られているところであります。またその理念は、比較的歴史の浅い獨協医科大学においても建学精神の重要な柱とされ、それに基づく地道な努力がなされており、豊かな人間性と国際的教養を有する数多くの医師が誕生していることは本学関係者以外にもよく知られている事実でありましょう。このような本学の伝統を背景にして、私はドイツ語の教師として、なにか授業以外の教育手段を媒介にして本学の国際交流の一翼を担えないものかと常々考えていました。

 私が本学に赴任する以前に「獨協医科大学日独親善旅行団」が組織され、渡独して大きな成果を挙げたということも聞いており、チャンスがあればと思っていました。姉妹校である獨協大学の外国語学部ドイツ語学科で行なっているドイツでの夏期講習への参加は、獨協大学の内諾が得られ、本学にも参加希望の学生が何人かいて、同行可能な段階までいったものの、双方の夏休みがずれていることから結局実現には至りませんでした。

 このような状況のなかでなんとか本学学生とドイツ学生との交流の方策はないものかと模索しているとき、「とちぎ日独協会」会長で宇都宮大学のドイツ語の橋本孝教授から、ドイツ人学生の日本語研修のため本学園の新甲子研修所を利用させてもらえないかとの打診がありました。私はこの申し出を本学の学生たちの国際交流の絶好の機会と考え、学生同志の交流会を開催する準備を開始しました。

2. 「親睦交流会」開催までの経緯

 「親睦交流会」の開催には3つの契機がありました。

 その第一は、何といっても獨協医大と石橋町との関係であります。ご承知のように、かなり以前から、正式には1975年(昭和50年)からですが、石橋町とドイツのシュタインブリュッケン(ドイツ語で「石の橋」の意、現在は周辺地域の合併によりディーツヘルツタールとなっている)は姉妹都市関係にあります。そして、1994年からは、ドイツのミュンヒェン大学を中心とした日本学専攻の学生たちが夏に約一ヵ月石橋町でホームステイをし、町民との親交を図るとともに、その間を利用して、とちぎ日独協会が、石橋町との共催の形で日本語講習を行なうこととなりました。

 この日独両石橋町を結びつける最初の契機をつくられたのが、獨協医科大学の初代学長で、当時日本国際医学協会理事長の要職に就いておられた石橋長英先生でした。「石橋」先生、「石橋」町、そしてシュタインブリュッケン、この三石橋はきっと強い絆で結ばれていたに相違ありません。石橋先生は交流の最初の契機となった両町児童の絵画交換の「橋渡し」役をされたばかりでなく、「人と村 同じ名もてり すみれ咲く」という水原秋桜子の句を刻んだ句碑を両町に寄贈されたり、姉妹都市締結時に立ち合われたり、幾度か親善訪問団に同行されたり、その上シュタインブリュッケンの町に日本庭園まで寄贈しておられるそうです。獨協医大とドイツが学園創立の理念からして強い絆があったことは言うまでもありませんが、隣の石橋町とも石橋先生を通じて、因縁浅からぬ関係があった訳であります。

 第二には、獨協医大ととちぎ日独協会との関係であります。十数年前からようやく栃木県でも国際交流の機運が高まり、また近年各地の市町村でも国際的な姉妹都市関係を結ぶのが一種の流行のようになっていますが、1990年(平成2年)、橋本先生のご努力により、宇都宮大学、獨協医科大学、自治医科大学のドイツ語の教師を中核に「とちぎ日独協会」が発足する運びとなりました。私と同僚の寺門先生もそれぞれ理事、幹事として参加し、現在に至っております。さらに発足当初、当時の吉村正学長、小西克利教養医学科長の両先生に、それぞれ顧問、相談役の役職に就任いただき、また当時獨協医大の父兄会会長をされていた福田武隼氏が副会長に就任され、物心両面にわたって大変な援助をいただきましたこのような本学関係者の皆様方の伝統的な国際交流に対するご理解、特にこれまでに培われてきたドイツとの深い協力関係が、陰に陽に交流会成功の大きな力となっていたことは疑いもありません。

 第三の契機は、宇都宮大学教授の橋本先生と、石橋町および東京大学名誉教授で現ミュンヒェン大学教授兼名誉評議員(Ehrensenator)をなされている辻★先生との関係であります。橋本先生は既に石橋先生ご活躍中から石橋町との関係を持ち、交流の援助をされており、「グリムの里」構想にも当初から関わられていました。一方辻先生は、ミュンヒェン大学の日本文化センター長をされており、日本文化・日本文学の紹介、および日本学・日本文学の研究者の養成などに尽力され、また以前から、国際交流基金等を積極的に利用されて、日本とドイツの学生の交流にも精力的に貢献されてきました。そして、橋本先生がヴュルツブルク大学の客員教授をされていた折りに、石橋グリムの里の構想を聞き、石橋町がドイツ人学生の派遺研修の地として最適と判断されたのです。さらに、訪日学生の総括的な指導をされていた辻先生は、ドイツ人学生たちが石橋町でのホームステイ兼日本語研修を受けたのちに、一層集中的に日本文化および日本語の勉強を行なうという計画を持っておられ、ちょうどそれに応ずるに足る研修施設を我が学園が有していたということが、交流のスタートとなりました。このような経緯を経て、彼らが8月27日から9月12日の約2週間、本学新甲子研修所で日本語および日本文化の勉強をすることになりました。

3. 「親睦交流会」開催の準備

 開催決定までには、いくつかの困難・障害がありました。すなわち研修所の使用許可と開催の主体をどこにするかですが、これは学生部長と総務部長に御協力いただき様々な要件を考慮して、学友会主催の形で、学友会総務部長の松本先生が事実上の指導者としてご尽力くださることになりました。夏休みを間近に控え、東医体の準備などで忙しいなか、急遽役員会が開かれ、さまざまな議論がなされた結果、紆余曲折はあったものの学友会主催で開催することが決定されました。

 次の難関は開催のための資金集めでした。資金ゼロの状態でしたので、果たして開催できるものかどうか非常に心許ない状況でしたが、幸いにも小西先生、松本先生のお口添えの結果、父兄会をはじめ、多くの方々から御援助をいただき、開催可能となりました。この場をかりて改めて心より御礼申し上げます。

4. 「親睦交流会」の実施の概略

 日独学生たちの交流は、9月3日、午前中に大学を出発した学友会の役員を中心とした学生とドイツ人学生との協同作業(会場の設営、その他の諸準備)から始まりました。われわれとしては学生との話し合いを通じて、互いに異文化を背景としていることに留意し、学生としての品位を失うことなく、かつ、できるだけ親密な交流をしたいということに主眼をおき、会の性格を設定することに致しました。その結果、交流会を、学生、招待する外部の先生方、そして本学の先生方を交えたセレモニー的な部分を第一部とし、その後の学生中心に自由に交歓する第二部とに分けることにしました。結果としては、私の目にはどちらも大成功に終わったと映り、その結果を自負し、大変喜んでいるところであります。前期試験の前にもかかわらず、夜実習が終わってから駆けつけてくれた上級学年の学生などもいて、第一日目には50名を越す学生が参加してくれ、大変充実した、楽しい親睦交流会となりました。

 第一部セレモニー(歓迎会)の部は、招待学生が、12名であり、招待の先生方は、辻先生、橋本先生、そして宇都宮大学助教授の若山俊介先生の御三方、また本学からは小西学生部長、永井教養医学科長、松本学友会総務部長、勝瀬学友会体育部長に御出席いただくことができました。なお、勝瀬先生には、全般に渡る学生の指導、また独語学の同僚寺門先生には、舞踊や演武などの際のドイツ語での解説など大変お骨折りいただきました。

 第一部は、午後3時半ごろから学友会役員の作道清香さん(2年)の司会ではじまり、最初に学友会委員長の大澤浩平君(3年)の歓迎の挨拶がありました。これは思いがけなくドイツ語で致しましたので、冒頭から日独両学生たちから拍手喝宋を浴び、一気に会の雰囲気を和らげてくれました。次に、学長の原田先生からドイツと本学のこれまでの親密な関係を織り込まれた御好意に満ちた歓迎の御言葉をいただきました。しかし残念ながら、学長先生御自身はご多忙なため出席いただけず、代わって永井先生に御挨拶と代読とをお願い致しました。次に小西先生から、獨協学園創立の由来に触れたあと、孔子の言葉を引用して、長年の友人を暖かく迎えることができる喜び、今後のさらなる友情の発展を願う御挨拶をいただきました。学長先生と小西先生の御挨拶はそれぞれ大学と学生部を代表された半ば公式的なものでありましたので、ドイツ人学生にとって良い日本語の勉強になると思い、それぞれドイツ語に翻訳して私と寺門先生とで伝えました。

 続いて辻、橋本先生からの返礼のご挨拶をいただいたあと、松本先生に乾杯の音頭をとっていただき、ドイツの代表的な数種のワインを開栓して乾杯し、これからの友情と交流の永続を願いました。その後、オードブルとドイツワインを味わいながら、日独両学生の自己紹介をしました。ドイツ人学生の多くはヤパノロギー(日本学)を主専攻にしていましたので、かなり上手な日本語で自己紹介をし、われわれは感心すると同時にいささか反省もさせられた次第であります。しばし歓談の後、演技の部に入りました。

 最初は剣道部、中島宏輔君(3年)の居合い抜き一番から十番までの演武の披露。続いて福島史哉君(5年)の書道。次は滝澤佳江子さん(2年)による日本舞踊「藤娘」。次は、舞台が一転し、山田一成君(4年)率いる格闘技愛好会の4名による伝統的な空手の一流派である極心流の型と練習法および最難度の技の披露。そして最後は、上級学年で先輩格の竹下文子さん(4年)による茶道のお手前でした。以上で本学学生の演技および演武は終了したのですが、その後、ドイツ人学生たちが美しいコーラスで本場のドイツリートを聞かせてくれました。

 日独両学生たちの演技交換が済むと、小西先生による記念品贈呈がありました。第一部のセレモニーは以上で終了しました。御承知のように、習慣の違いといったらよいのでしょうか、彼らは早速お土産の袋からTシャツを取出し、すぐに着込んでいました。そして同じようにTシャツを着た小西先生を囲んで記念写真を撮ったり、あちこちに団欒の輪ができていきました。新しいワインやビールが開けられ、若い学生同志はたちまちうち解け合って話が弾んでいる様子でした。われわれも、いろいろな産地のドイツワインを味わいながら、団欒の輪に入って楽しい歓談のひとときを過ごしました。あちこちで日本語、英語、ドイツ語が飛び交い、時間がどんどん過ぎてしまうという感じでした。約3時間、団欒の輪は大きくなったり、小さくなったり、入り交じったりしながら、学生たちは夕食兼用のおにぎりやサンドイッチを食べ、賑やかに談笑しながら、会は第二部へと移っていきました。

 第二部は「花火」と「カラオケ」が中心となりました。もちろんそのまま話に夢中になっているグループがいたことも指摘しておく必要があるでしょう。第二部はほぼ学生に構成、運営を任せておりました。花火については相当大きな、思わず歓声があがるような大輪やスターマインめいたものまであったので、研修所の場所を考え一抹の不安がありましたが、学友会がせっかく準備して、ドイツ人学生たちが珍しい日本の花火を嬉々として楽しんでいるのを見ると、何も言えずつい一緒に遊んでしまうという仕儀になってしまいました。若者の無鉄砲さは洋の東西を問わないようですが、この時は本学学生の方が少し元気が良過ぎたようです。

 花火が一段落すると、今度は「カラオケ」です。ドイツ人学生の多くがホームスティ中に何度か経験したと言っていましたし、石橋町でのお別れパーティはカラオケパーティの色彩も帯びていましたので、皆大変上手に歌っておりました。ビートルズなど洋ものはもちろんのこと、日本の演歌まで歌うサンヤ嬢やタマラ嬢には本学学生たちもきっとびっくりしたに違いありません。「酒」と「歌」と「踊り」とご批判の向きもあるかもしれませんが、まさにこれらは、いつでもどこでも人間同志の交流の第一歩である私は考えています。こうして夜も次第に深まっていき、第一日目の交流は十分にその実を挙げ、大成功の内に終えることができました。

 第二日目は磐梯、五色沼方面へのバス旅行でした。試験を控えていたので、二日間はとても無理だと言っていた学生たちも、前夜の親睦パーティが大変楽しかったのでありましょう。我々の予想に反して、バスもほぼ満員となり、総勢30数名で研修所を出発しました。幸い天侯にも恵まれ、素晴らしい旅行日和りとなりました。昨夜、カラオケ大会の後も、遅くまで話し込んだり、卓球をしたり、温泉に入ったりで、さぞ疲れていることと思っていましたが、さすがに若くてタフな学生諸君です、もう初対面の硬さもすっかり取れ、和気藹々とした元気いっぱいの出発となりました。まず最初は磐梯山の優雅な姿を左手に見て、五色沼へと向かいました。五色沼は日本の多くの湖のなかでも、独特な色彩の変化を誇り、ちょっと天気が良過ぎた嫌いがありましたが、その一種日本的幽玄さに、本場の森と湖の国からきたドイツ人学生たちも魅せられていたようです。日独両学生たちが一諸になってしばし舟遊びを楽しみました。本来なら、この湖の夕辺、日の沈む頃の幻想的な美しさを充分に味わってほしかったのですが、時間の関係もあり、次の檜原湖へと向かいました。

 檜原湖で昼食をとったあと、二艘のモーターボートに分乗し、30分ほどの周遊をして磐梯山が最も美しく見える場所や、檜原湖誕生の由来などの説明を受けました。最後は磐梯ゴールドラインを下り、磐梯山を西側から眺めながら「野口記念館」へと向かいました。記念館では、野口英世の業績、遺品はもちろんですが、やはり明治の貧しい家の様子が印象的だったようです。しかし、ここでも改めて異文化交流のためには、まず何よりも自国の歴史をしっかりと識っておく必要性を感じさせられました。こうして第二日目のバス旅行も、日本独特の風土と歴史と人物の一端に触れ、楽しくかつ充実した成果をもって終了し、午後4時ごろには無事研修所に到着いたしました。出会いの期待と戸惑いとは別に、別れには常に寂しさが付きまといます。学生同志があちこちで別れの挨拶を交わし、再会の約束をしていました。たった2日の出会いではありましたが、学生たちの間には得難い思い出と、しっかりした絆ができたことと思います。以上で2日間の「親睦交流会」の幕が閉じられました。

5. 総括及び今後の計画

 以上、「親睦交流会」開催に至るまでの経緯とその経過について御報告致しましたが、ここで少しその意義と反省点について述べたいと思います。

 演技や演武をすることに何の意味があるのかというご指摘もあろうかと思いますが、私が一番重要に思ったことは、本来医学を専攻する学生たち、つまり極めて専門的で高度に先進的な分野である医学の勉強をその本分とする本学の学生たちが、同時に一方では多様な趣味や特技を持ち、もちろん不完全ではありますが、それを外国人に披露することができたということであります。つまり剣道や空手道、書道や日舞や茶道にしろ、いずれも極めて日本的なものであり、日本人の美意識や精神的な拠り所といったものを外国人に紹介し、日本人および日本文化への理解を深めてもらうにはこの上ないものであります。それらを学生諸君が趣味や特技として持ち、それを通して外国からの客と一歩も二歩も踏み込んだ心の交流ができたということです。

 もちろんそれには語学の力も必要不可欠であります。語学の力を媒介としてお互いの意見を述べ合い、異文化に対する理解を深め、また、人間の共通性にも思いを致し、人間対人間としての交流があらゆる場面で繰り広げられれば世界はひとつ、なんぞ恐るるものやあらんと思うのですが……。国と文化の交流は結局は人と人との交流であります。先にも少し触れましたが、それはまず人と人とが知り合い、理解し合うことから始まります。「出会い」という出発点がなければ何事も始まりません。その出会いから人間関係をさらに発展させ、親密なものとさせていく際にはじめに在るものは、いつでもどこでも「酒」であり「歌」であり「踊り」ではないでしょうか。今回はまさに全ての意味でその「出発点」であり、「始まり」であります。私は今後、この出会いを学生諸君がどう生かして行くのか、大きな期待と関心をもって見守っていきたいと思っています。

 さらに重要なことがもうひとつあります。それは本学の学生たちが英語以外の母国語を持つ外国人に親しく接することができたことであります。たしかに最近では、アジアをはじめとする英語圏以外の人々と交流する機会は増えてきましたが、ヨーロッパの人々、特に同世代の若い学生同志が交流することは、双方にとって得難い、貴重な経験であります。今国際交流をいうとき、その手段としての言語が英語のみに単一化する潮流になっておりますが、さまざまな民族が持つ文化との交流という観点からすると、単一化は決して望ましいことではありませんし、現実的に不可能でもあります。

 文化というものはそれぞれの民族に固有なものであり、しかも常に異文化に刺激され、対峙されることによってその固有性を強化し、伝統を保持していく性質を持っています。もちろん歴史を見れば、異文化によって飲み込まれ、同質化することによって滅び去っていった文化も多くみられます。むしろ常に強大な力を兼ね備えた文化が、異文化を排除し、あるいは手中にして同化し、均一化しようとする力学が常に働いてきたし、今でもなおその働きの本質は変ってはいないようにも思われます。しかしそのような働きや力学があったとしても、世界の諸国家・諸民族は自己主張を強め、文化や宗教の独自性があらためて顕在化されています。このように文化は根強いものなのです。それを証明するかのように世界のあちこちで武力紛争が生じ、争いが絶えず、民族独立の潮流が渦を巻いています。それらはソ連邦の解体、東西両ドイツの再統一、ボスニアの民族紛争などの近年の一連の世界の動きを見るだけでも明らかであります。国家や民族のアイデンティティーを保持しようとするエネルギーには巨大なものがあり、それがいかに人間の本質をなしているかは、否定しようがありません。この背景には様々な要因があることは容易に推測がつきますが、その最大のものは、もちろん宗教を含めての意味で「文化の違い」と言えるのではないでしょうか。従って、人間が平和裏に共存していくためには、諸民族、たとえそれが少数であるにしても固有の文化を共有する人々の存在を尊重し、互いに認め合う姿勢こそ、これからの時代の人間に最も必要であると言えます。

 こうした視点から見ると、世界に誇る独自の文化を有し、また世界史上文化的に非常に重要な役割を果たしてきたドイツの、これからその中核を担っていく若者たちと意見を交換し、楽しみを共にして、ほんの短い時間ではありましたが、共に生活できる機会があったということは、大変有意義なことだっと思います。本学の学生たちもこれまでに様々な媒体を通して、ドイツという国やドイツ人の生活およびドイツの文化についての知識は多少なりともあったはずですが、実際にドイツ人に接するのは初めての諸君が大多数ではなかったかと思います。必ずや彼らは認識を新たにし、なにかこれまでにないものを得たことと思います。彼らにとって表面的なものだけでは計り得ない、大きな成果があったと私自身は自負しております。

 しかし当然のことながら、反省すべきは反省しなければなりません。開催時期の問題、資金的な独立性の問題などを含める交流の在り方については、既に問題提起がなされており、私としてもドイツ側の都合も勘案し、様々な角度から考慮致しました。そしてとにかくできることから試みてみようと考え、次年度は、私が担当している中級ドイツ語(2年生)およびドイツ・ランデスクンデの小ゼミ(1年生)を選択した学生のうちから希望者を募ってセミナーハウスに連れていき、一週間程度生活を共にしながら交流する計画を立てました。なにしろ相手のあることですから、こちらの希望どうりにはいきませんでしたが、勉強と生活体験の両方の交流を視野に入れた計画でした。これについては別の機会に報告させていただきたいと思っています。

 以上今回のことは私にとっては初めての経験であり、これからも皆様方の指導ご鞭撻をぜひとも腸りたく、またこの試みを長い眼で見守って下さいますようお願いいたします。最後に、この「親睦交流会」の開催に際して多大なるご支援を賜りました学長先生を初め学生部学友会関係の諸先生方、教養医学科関係の諸先生方、父兄会関係の皆様方、獨協会、共栄商事株式会社に再度心より御礼申し上げます。