イスラムという視点から見たヨーロッパ(その1)
──『アラブとしてのスペイン』──


 ヨーロッパは中世においてイスラム文化の影響を受けたと、たいていの世界史の教科書には書いてあります。例えば、娘(高校生)から、彼女がたまたまもっていた『ナビゲーター世界史』(鈴木敏彦、山川出版社)を借りて、「イスラム世界」という章を開いてみると、次のような説明があります── 

 イスラム文明は、古代ギリシャの哲学・自然科学の知識を消化・吸収し、化学などでは独自の発展を見せ、これらは、のちのヨーロッパ近代文化の発展にも大きな影響を与えた。(pp. 202-203) 

 問題は、その<影響>は一体どの程度のものだったのか、です。現在の世界史はヨーロッパを中心としたものですが、ヨーロッパ文明はギリシャ・ローマ文明、そしてキリスト教の決定的な影響を受けて成立した、とされています。(『ナビゲーター世界史』のように)中近東の歴史の中では、イスラム文化がヨーロッパに一定の影響を与えたことに触れられてはいますが、世界史の教科書を通して読むと、イスラムの影響に関しては、それがヨーロッパ史の中のほんの一時的なエピソードであるかのような印象を受けます。

 はたしてそうなのか、イスラムの影響は、一般に考えられているよりも深刻なものだったのではないか、あるいはギリシャ・ローマ文明に匹敵するくらいの影響をヨーロッパに与えたのではないか、もしイスラムの影響がなかったとしたら、今日のヨーロッパは現在とはかなり違った形になっていたのではないか、と私は最近考えるようになりました。そのきっかけはスペイン語です。

 数年前からスペイン語を勉強しているせいで、中南米やスペインに興味をもち、最近はスペイン関係の本(とくに歴史)をよく読みますが、スペインに関しては不思議なことがいくつかあります──16世紀以降、スペインは完全にヨーロッパのキリスト教国となりましたが、地理的にはポルトガルとともに、ヨーロッパ最西端のイベリア半島に位置します。このように、ヨーロッパの<周辺部>に位置するスペインとポルトガルが、大航海時代(15-17世紀)の開始とともに、オランダ・イギリス・フランスに先んじて、いち早く世界の海に進出し、多くの植民地を獲得できたのはなぜなのか(1494年にスペインとポルトガルの両国は、世界分割条約を結びました。トルデシーリャス条約といいます。この条約に基づいてアメリカ大陸ではブラジルだけがポルトガル領となったのです)。また現在、政治的・経済的にみてヨーロッパの中心とは決して言えないスペインが、どうして絵画のピカソやダリ、建築のガウディ、音楽演奏家のカザルス(チェロ)やセゴビア(ギター)といった大天才たちを輩出することができたのか。

 ここで8世紀から15世紀までのイベリア半島の歴史を確認しておきましょう。711年にイスラム勢力はジブラルタルに上陸し、西ゴート王国を滅亡させ、わずか4年ほどでイベリア半島のほぼ全域を支配するに至りました。それから1492年にイベリア半島最後のイスラム王国であるグラナダが陥落してレコンキスタ(国土回復運動)が完成するまでの実に800年もの間、イベリア半島は、ある時はそのほぼ全域が、またある時はナバーラ・レオン・アラゴン・カスティーリャといったキリスト教国と共存しながら、イスラム教徒たちの支配を受け続けたのです。日本史でいえば、奈良時代(710-794)とほぼ同時に半島のイスラム支配が始まり、江戸時代(1600-1967)が始まる約100年前、戦国時代(1467-1568)の初期に最後のイスラム支配者がイベリア半島から去ったわけですから、これがどんなに長い期間か分かるでしょう。 

 そうすると、スペインとポルトガルが大航海時代の初期に、ヨーロッパの他の国々に対してアドバンテージをもっていたのはイスラム文化のせいではないのか、というごく自然の疑問がわいてきます。大航海時代におけるエポックメーキングな出来事は、もちろんコロンブスのアメリカ到着ですが、これはグラナダが陥落したのと同じ1492年のことです。その2年後にトルデシーリャス条約が結ばれたのです。このことはレコンキスタが完成した時点で、すでにスペインとポルトガルが(少なくとも造船技術に関する限り)相当高度な文化をもっていたということを意味するでしょう。

 このような視点でスペインを眺めてみると、スペインがガウディ、ピカソやダリといったけた外れの天才を輩出するのは、あるいはここがヨーロッパ文化とアラブ文化との混血地域であるからではないのか、という推測が成り立ちそうです。 

 こんなことを考えているときに、市立図書館で、『アラブとしてのスペイン』(余部福三、第三書房)という本を見つけました。その中の何カ所かを抜き書きしてみます──

 

 経済発展著しい現在(注:1992年)のスペインは、観光ブームにもわいている。ヨーロッパに近くて、ヨーロッパに欠ける太陽の光にあふれ、ヨーロッパとは明らかに異質な文化をもつエキゾティックな国、そういうイメージが強いのである。イタリアも同様であるが、ヨーロッパとの差異はスペインの方がイタリアよりはるかに大きい(注:イタリアがエキゾチックという指摘は納得がいかないかもしれません。この点は次回で触れるつもりです)。ナポレオンが「アフリカはピレネーにはじまる」といったと伝えられるように、通常の感覚ではスペインはヨーロッパらしくない。...(中略)... スペインをヨーロッパから際立たせる要素は何か。それはアラブ・イスラーム文化の要素である。(p. 1)

 スペイン、ポルトガルの地はかってはアラブのイスラームの国であった。しかも、イスラーム世界のはしっこではなく、その中核をしめており、一時的にはイスラーム世界の最先進地域、ということは全世界で最先進地域にもなった。(p. 350)

 スペインはイスラーム世界の中では後進地域であったが、しだいに発展し、一二-三世紀には文化がすでに衰えはじめていた中東をしのぐようになった。すなわち、スペインは一時的には中国を除く世界で、もっとも文化レベルが高くなったのである。これはスペインが大いに誇りとすべきことである。そして、キリスト教徒に征服されたスペインがその優れたイスラーム文化をイタリアや西欧に伝える橋渡しとなった。(p. 342 )

 

 大航海時代の先頭を切って世界の海に進出したスペイン人とポルトガル人は、やがて日本にもやって来るようになります。1543年に種子島に漂着したポルトガル人によって、日本にはじめて鉄砲が伝わりました。それをきっかけとして日本に南蛮文化が盛んになるのですが、そのうちの一つに南蛮屏風というものがあり、そこには南蛮人(南蛮人というのはスペイン人とポルトガル人のことです)の商人や宣教師たちが描かれています。この南蛮人の服装に関して、『アラブとしてのスペイン』は次のように述べています──

 

 戦国時代に日本人が見たポルトガル人の豪華な服装もほとんどがアラブ服である。肩を張らせた上衣(じゅばん)はアラビア語のジュッバであり、大きくふくらんだズボンで丈が足首まであるシルワール(ハレム・パンツ)もアラブ服である。南蛮文化とは宗教以外はアラブ文化の要素が非常に強いのである。(pp. 4-5) 

 

 これを読んで、私は軽いショックを受けました。これが本当であれば、スペインとポルトガルにいかにアラブの文化が浸透しているかを示す動かぬ証拠であると考えていいでしょう。人が外国のファッションを模倣するのは、その国が自国よりも文化的に優れていると思うからであって、文化程度が低いと考える国からファッションを輸入することは、通常はありえません(自国のファッションの一部に取り入れるということはあるでしょうが)。

 それでは現在のスペイン人は、このような自国の過去をどのように見て、どのように評価しているのでしょうか。このことに関しては、つぎのように説明されています──

 

 今日のスペイン人は一般に、西欧人以上に、アラブに対して愛憎あわせもつアンビバレントな感情を持つ。すなわち、憎むべき侵略者で野蛮、非文明的な異教徒、邪教徒であり、スペインにぬぐえない汚点を残し、スペインを西欧諸国とは違う道に歩ませ、その発展を滞らせたと見る立場と、スペインもスペインたらしめ、すばらしい文明をもたらした人々であり、自らとも親近関係にあると見る立場のふたつである。(p. 348)

 

 

----- wird fortgesetzt(続く)-----