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福島県平田村での災害医療支援活動報告(4月21日~4月24日)

 

心臓・血管内科 准教授 
阿部 七郎

 

 本年3月11日、文字通り我が国を揺るがした東日本大震災が発生し、多くの人命を飲み込んだ津波は、福島県においては原子力発電所を壊滅させ、災害を地球規模での警戒レベルにまで押し上げました。今回同県石川郡平田村にあるひらた中央病院では原発避難命令により、老健施設などから難民となったお年寄りの収容を、救命的措置として多数引き受けたため、急激な人員不足から管理不能となりました。それ故、獨協医科大学病院へも人員派遣要請あり、それに応える形で野原病院長から私に平田村への出向要請がありました。かねてより震災支援活動に希望を出していましたが、大学の業務の合間を縫って行ける猶予はたった3日間でありました。

 

 私は三陸地方に親戚も多く、子供の頃に見慣れた風景が津波によって踏みにじられた映像の報道を目の当たりにして自分の心も波に潰されたかのような気持ちになっておりました。また今回私のいとこも津波に吞まれかけ一命を取り留めたという経緯があり、地震発生当初から災害派遣等何か役に立つことがあれば協力したいという思いが強くあり、たとえ短い期間でも行こうと考えました。当科でも若い医師の間で災害支援活動を希望するものがおりますが、大学病院でベッドを受け持つという事は、この栃木県において大きな責任を負っていることを意味し、ベッドを受け持つ若い医師は大学病院を機能させるという重要な役割を担っており、むしろ私のようなベッドを持たない者がまず先に赴くべきであろうと考え決めました。


 東北自動車道は白河あたりから道路のゆがみが感じられましたが、矢吹インターチェンジからあぶくま高原道路に入ってからは、さらに地震による道路の損傷と修復による凹凸が激しくなり、自分で運転していながら車酔いするのではと思われるくらいでした。どこを走っても道は滑らかなのが当たり前であった我が国の尋常ならざる状況は、しかしこの道の奥にさらなる惨劇が横たわっており、私のいる吐き気を催すこの歪んだ道路なぞ、地獄の門のまだずっと手前なのだと思うとひたすら悲しみがこみあげました。やがて平田中央病院に到着し、まず事務長様から院内を案内していただきました。病院の隣にリハビリケアセンターが併設しており、通常は脳血管傷害など病院で加療した後、このセンターでリハビリを行っております。

 

 私はこの数年外来診療のみでベッドを受け持っておりませんでしたので、実際どのような業務が求められるのか、自分で勤まるのだろうかという点で多少の不安を感じておりましたが、私の業務はリハビリセンターに収容されている、老健や特老施設からの避難者の診察ということでした。避難当初リハビリホールやデイルームは病室としてベッドが多数収容され、さながら野戦病院の様相でありましたが、その後復旧した施設へ戻って行った方もいるようで、私が赴いた際にはリハビリホールは本来の目的に使用されておりました。広島から63歳の大変優しい循環器の先生が数週間の予定のボランティアで赴任してきており、私などはほんの数日しか貢献できず頭の下がる思いでした。

 

 人員不足のため入所者のカルテが全く記載されておらず、新しくカルテを起こし、これまでの病歴や処方内容を判りやすく整理することが重要と考え、回診し褥創や湿疹の処置と指示を行いながら、カルテ作成に励みました。認知症を患う方がほとんどですが、埒のある方々からは「もう治療をこれ以上続けないでくれ」「もう助かりたくない」という発言が都度に聞かれ、体育館などの避難場所に収容しても周囲の人の手を煩わすことになるという理由でここに連れてこられたという病歴を鑑みるに、ありきたりの励ましの言葉など発するにおこがましく無力感に苛まれました。また入所者が転倒打撲する事故が多発したり、食べ物が患者の着物の中にこぼれたままになっていたりと、現場の看護師、介護士たちコメディカルは勤務時間超過が当たり前で熱意に満ちて業務に臨んではいるものの、やはりオーバーワークの感は否めませんでした。かといって慣れない自分が不用意に手を出してもかえって迷惑をかけることにもつながり、故に実際に肌で感じたことは医師の不足も当然ですが、現段階ではむしろコメディカルのパワーの方が確実に必要とされているのではなかろうかということでした。

 
  一夜にして数万人の国民の命が無慈悲に失われ、放射能汚染で居住できない地区が発生してと、自然災害でありながら核兵器を落とされたのと等しい状況が今回の震災です。原爆を落とされても20年で新幹線を通しオリンピックを開催した我が国であり、ライフラインの復旧の早さやストレスに強い国民性が外国から賞賛されることは誇らしくもありますが、復旧への道は容易いとはいえません。彼の地のスタッフにとっては、私の居た数日など一瞬に等しいでしょうが、自分なりに精一杯務めました。被災地以外に居る人間は、一時の盛り上がりに終わらず、継続する支援の気持ちで今回の震災後を乗り切らなくてはいけないと自分に対しても強く感じた数日間でした。