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解剖学実習

ここから始まること、変わることがたくさんあります。


 私はこの出会いに素直に感謝できるようになり、納棺の時には、身近な人を失ったような深い悲しみを感じました。お互いに、名前も辿ってきた道も知りませんが、不十分な私の実習をいつも温かくご指導していただいたようで、別れがつらく、死が与えるものの大きさを実感しました。医師になってからもこの気持ちを持ち続けなければならないと決意しました。



 実習を終えた今、私の医師になることに対する覚悟は情けないほど中途半端だったと痛感します。やっと人に堂々と言えるくらいの覚悟ができました。どれもこの解剖実習のおかげです。将来患者さんを前にしたとき、医師として堂々と座っていられるのはこの経験があったからであると信じたいです。知識においてだけでなくご遺体を解剖していく過程でその人の人生やご遺族の万たちの献体に対する思いなど、様々なことを感じ取ることができました。決していま感じていることを忘れずに私は1人の人間として患者さんと向き合える医師になろうと思いまず。



 実に失礼干万、無礼極まりない話だが、私達のグループはご遺体に名前をつけた。もちろん何ら悪意の無い呼び名である。私達はその名前を呼ぶごとにご遺体に親しみ、実習を始める時には「今日も5人で頑張ろう」が合言葉になる。実習の対象は物ではなく1人の人間なのだ、そんな思いが皆にはあったと思う。さらに実習を重ねる度に、ご遺体の身体全てに「生きてきた」という証しが年輪のごとく刻まれているのを目にし、ご年配の方に対する尊敬や畏敬の念すら覚えてしまうのだった。
 最初の実習の前に抱いていたショックなどは立ちどころに消え「こうなってるんだ!」という驚きに変わる。恥ずかしい話だが、私は門脈というものの仕組みが教科書を何回読んでもさっぱり理解できなかった。実習中にSVCにもIVCにも行かない「謎」の血管が肝臓にいく門脈だと解った時は感動すら覚えた。実際に手を動かし、目で見ないと理解できないことは実に多い。解剖実習の意義ここにあり。 
-中略-
 このようにしてご遺体は勉強を重ねるごとに私達の中で再び生体として生き、これから先消える事の無い記憶として残る。大切な大切なご遺体を授けて下さったご遺族の方々と丁寧に指導して下さった先生方に心から感謝申し上げます。そして「ウメさん」本当に有難うございました。ウメさんのためにも私は良い医者になりたいです。どこかで見守って下さい。



 今、解剖学の学習過程が終わり、講義だけでは理解できなかった事をだいぶ把握できたと思う反面、人体の構造の美しさと不思議さを改めて感じています。
 子持ちの中年学生の毎日はひどく多忙です。夜、やっと自分の時間を作って机に向かいながらも時折、なぜ今ごろになってこんなに忙しい思いをするのかと心弱くなると、今までに出会って励まして下さった方々と共に、実習台の上の安らかなお顔が浮かびまず。これからもずっと私を励まして下さるお顔にちがいありません。感謝と感動を忘れることなくこれからも目標をめざし努力したいと思っています。



 私達の解剖実習のために献体してくださった方とその方のご家族に思いをめぐらせながら実習期間は時が早く過ぎていったように思う。実習班の中で現時点で私達に「献体する勇気があるか?」という問いが持ちあがった事があったが、答えは出せなかった。
ご遺体のたくましい手や安らかなお顔を見ていると、私たちもこれからの人生においていかなることを乗り越えた後にこの方のような心境になれるのか考えさせられた。医師として人間として一人前になるまでには、大生の先生方のご指導をいただくだろうが、解剖実習のご遺体の方から教えられたことはあまりにも多いと肝に銘じていかなければならない。